指導の特長2

ただのひねくれもの、
天の邪鬼では終わらせない。
相対的思考の先で、
絶対的信念を得られる未来へ。
ただのひねくれもの、
天の邪鬼では終わらせない。
相対的思考の先で、
絶対的信念を得られる未来へ。
ゴミ拾い。
ほめられて
満足ですか?
日本人は真面目で几帳面。他者への思いやりがある。自己犠牲をいとわない。だから、ワールドカップの会場で率先してゴミ拾いをし、世界の注目を浴びた。
――こういう話は誇らしい。でも、ただ誇らしく思うだけで、本当によいのでしょうか?
日本人は真面目で几帳面。他者への思いやりがある。だから、義務でもないマスクを率先して着用し続け、高齢者や基礎疾患のある「他者」を最優先して延々と思いやり続け、青春を奪われて「自己」の人間らしい活気ある生活を丸ごと奪われてもそれを何年も耐え忍び、感染症専門家らがまことしやかに説くカンセンタイサクを延々と受け入れ、「誰も死なない社会」という不可能な理想を追い求め続けてきた。今や世界が完全にノーマスク化している中でもずーっとマスクを続け、逆に世界から白い目で見られている。
――これもまた、事実なのです。これでも、本当に誇らしいですか?
求められるのは、逆説的思考です。常識を疑うことです。たとえ95%の他者が支持する常識であっても、一度は真剣に、それを疑ってみること。常識を否定するには、根拠が必要です。「それでも地球は回っている」という主張の裏には、確かな根拠があったわけです。
現状の社会のありようで満足なのであれば、論理的思考力を磨く必要もありません。
新たな仮説を立て、根拠を探し求め、因果関係を整理する。その先に、社会の諸問題の解決があり、希望に満ちた新時代が待っているのです。(→)

逆説を読み、
逆説を書く。

(→)わが子には高尚すぎる。などとお感じかもしれません。しかし、コロナ禍は子どもたちの日常を直接的に激変させました。今後も、さまざまな大問題が、子どもたちを襲うでしょう。高尚だ、まだ早い、などと悠長なことを言っている間に、お子さんは成人年齢(18歳)に達してしまいますよ。
ただし、安心してください。ふくしま国語塾では、まず「常識」そのものを教えます。何しろ、子どもたちは無知です。まず、土台になる知識・常識を与えなければ、逆説化など遠い話ですから。
幸い、子どもたちが読解問題で出合う文章は、そのどれもが「逆説」を含んでいます。小説では、主人公が予想外の「非常識な」行動をとり、それによって問題を解決する。評論では、筆者独自の「非常識な」視点で常識に斬り込む。
実は、世の主張という主張は、常に逆説的なのです。常識的内容の既知の文章では読み手を引きつけることもできませんし、その文章を世に出す価値がそもそもないからです。
要するに、読解力(読む力)とは他者の逆説を理解する能力であり、文章力(書く力)とは自己の逆説を展開する能力のことである。当塾では、あらゆる指導をこうした視点のもとで行っています。
むろん、単に思考を相対化するだけであれば、それはただのひねくれもの、天の邪鬼です。真の理想は、相対的思考の先で「絶対的信念」を持てるようになることです。その境地に至るには、何十年もかかるでしょう。だからこそ、今、思考を鍛えるのです。