尊敬される教師になるために必要なこと
保育と教育の違いは、子どもとの距離感。
学校でも塾でも、教育に当たる者は子どもとの距離を保つことが必要。
一番簡単なのは、物理的距離を保つこと。
教壇というのは本来、そのために存在した。
物理的距離が、心理的距離を生む。
生徒が教師を尊敬するために必要なのは、この心理的距離。
生徒と教師の間に心理的距離(無形の距離)を生むためには、物理的距離(有形の距離)のみでなく、能力的距離(無形の距離)がより有効。
要するに、あの先生はすごい、あの先生にはかなわない、あの先生に習いたい、そう思えなければ、教師は教師として存在し得ない。
子どもと教師の心理的距離は、学年・校種が上がるほど、離すべき。
1年生より6年生、小学生より高校生のほうが、距離は離すべき。
そこを間違えるから、生徒と恋愛とか、わいせつ事件とか、そういう方向に行ってしまう。
若い教師ほど、生徒との距離感を間違える。
20代の教師は、児童・生徒と友達になろうとしてしまう。
30代の教師は、児童・生徒の先輩になろうとしてしまう。
40代になってようやく、教師としてのあり方に気づく。
でも本来は、20代から「教師」でなければならない。
若い教師が学級崩壊させる要因は、そういうところにもある。
距離こそが「教育」を可能にするのである。
その意味で、「保育」のような教育をしてしまっている塾では(個別指導が特にそうなりやすい)、子どもの成績は上がりにくいだろう。学校も然り。
当塾では、生徒は授業開始5分前に来て、授業を100分受けて、5分以内に帰っていく(もちろん質問や雑談で15分くらい残る生徒もいる)。笑いも起こるしジョークも飛ぶし明るい授業だが、基本的には淡々とした授業である。