個別指導と一斉指導、どちらに価値があるのか?
1回100分8,000円のマンツーマン授業と、同じく1回100分8,000円の一斉授業(10人前後)とがあるとする。親であるあなたがわが子に受講させたいのは、どちらだろうか。
多くの保護者は、前者つまりマンツーマンを選ぶだろう。なんなら、マンツーマンのほうが倍額=1回100分16,000円であっても、そちらを選ぼうとするだろう。
ズバリ結論を書こう。
それは、間違った選択である。
多くの子にとって学習成果が上がりやすいのは、一斉指導のほうである。
何十年にもわたり、日本の教育現場は一斉指導が主流だった。それは、私のような準団塊の世代の人口が多く、教室に大勢を座らせないとどうしようもなかったから、という現実的な理由だけではない。
一斉指導が主流であった本質的理由は、まず何よりも、それが効果を生んでいたからである。
子どもというのは、集団の中でこそ育つ生き物だ。
特に仲良しではない、あるいは名前すらまともに知らないような同世代の子が10人、その場に同席しているだけでも、子どもの心理は動く。激しく動く。共感。違和感。緊張感。恥と誇り。興奮。驚き。あらゆる心理が次々と連鎖する。ただぼーっと座っているだけに思える子でも、隣の子、周囲の子を意識し、そういった心理的変動が働き続ける。
マンツーマンの場には、指導者と生徒しか存在しない。そこにも当然、心理的ゆらぎは存在する。しかしそれは、子どもどうしの場合にくらべて淡白で、冷えた感情の動きである。立場の差が明確だから、理性のほうが強く働くわけだ。
大人だってそうだろう。上司と酒を酌み交わすのと、同僚と酒を酌み交わすのとをくらべればよい。後者のほうが、圧倒的に楽しく、興奮する。たとえ酒を酌み交わさないにしても、同じ職場に上司と自分しかいないのと、同僚が10人いるのとでは、大違いである。
人間が知的な学びを定着させるために必要なのは、情動である。それは一般に、情動記憶と呼ばれる。
感情が動いたときにこそ、記憶は明確になる。集団指導は情動の場であり、記憶のために最適な場であると言えるだろう。
それでも、うちの子はペースが遅いから、集団の中ではついていけないのではないかと心配で……という親もいるだろう。それは程度による。たしかに、3学年以上能力差があるようなケースでは、個別指導のほうが向いているかもしれない。国語で言えば、5年生が5年の教科書を音読して、2年生並にしか読めないとすると、それは個別指導を選ぶべきだ。しかし、たいていの場合、そこまでの差はない。
もし能力差があるとしても、他の子と同席してさえいれば、その子たちに「引っ張っていってもらう」ことができる。それが、集団の力というものだ。他の子が読むのを聞いて、他の子の発言を聞いて、ああこのくらいんでいいんだなと気づく。あるいは逆に、自分の読みや発言によって、他の子に影響を与える。そういった相互作用の中で、集団は、集団として力をつけていく。
このように書くと、アクティブラーニングのような対話・会話の活動がイメージされるかもしれないが、大事なのはそういうことではない。当塾のような、「指導者」対「10名前後の生徒」という図式で、子どもどうしが互いの学校名やフルネームを知らないような関係であっても、そこには集団の力学が働く。個別では得られない情動により、学習効率は明らかに上がる。
ここまで、生徒について述べてきたが、これは実は指導者にも当てはまる。1名の個人を相手に指導する場合と10名の集団を相手に指導する場合とで、指導者の情動は大きく変わる。情動の中でこそ、指導者は全力を発揮することができる。
集団指導のほうが学習成果が上がりやすい理由は、ほかにもある。それは、指導者が自らの指導をセルフチェックしやすくなり、指導の質が向上するということである。たとえば、ひととおり書き方を指導したあとで文章の添削を行う際、書き方への理解が足りない生徒が予想より多いことに気づく。それは自らの指導に不備があったということだ。もし1名だけの生徒を相手にしていると、それがその生徒の理解不足にすぎないのか、あるいは指導者側の不備なのかが、分からないままとなる。集団指導というのは、こうして生徒から指導者へのフィードバックが多くなり、結果的に指導者から生徒へのフィードバックも多くなっていくわけである。
さらに1つ。実はこれが、ある意味で最も大きいとも言えるのだが、個別指導と一斉指導とでは、指導者に求められる能力の次元が異なる。一斉指導を成立させるには、教科教育について一般化された知識・技術を生徒に提示する必要が出てくる。個別指導では、「その子」が分かっていることは飛ばしてよいし、その子が知らない知識・技術だけを与えればよい。指導者は知識が曖昧だったがその子が知っていたので助かったラッキー、パスしよう、などといったごまかしも横行する。しかし一斉指導では、一般的に求められる知識・技術を幅広く与えていく必要があり、その分だけ、知識・技術の広さ・深さが求められる。そのようなごまかしは、通用しない。
そして、そういった教科教育の知識・技術だけでなく、集団指導ならではの技術も必要になる。いかにして指名するのか。いかにして発言させるのか。ある生徒の発言をもとに他の生徒からよりハイレベルな発言を引き出すには、どういった声かけをすればよいのか。そういったリードの技術が、必要である。
要するに、個別指導の指導者より、集団指導の指導者のほうが、はるかに能力が高いのである。
さて、ここで再び、最初の問いを考えていただきたい。1回100分8,000円のマンツーマン授業と、同じく1回100分8,000円の一斉授業(10人前後)。あなたはどちらを選ぶか。答えは明白だ。たとえ一斉指導がマンツーマンより高額だったとしても、それを選ぶだけの価値はある。
待て待て、マンツーマンでももっと安いところはあるぞ、と言うかもしれない。それは大手塾の個別指導のイメージだろうか。お分かりのように、生徒1~2名に講師1名となると、多くの講師が必要になる。当然、人件費は安くなる。安い給料で働かせられるのは、学生バイトである。それはイコール、講師の質が落ちるということだ。安かろう悪かろうでいいのだ、というのなら、どうぞ。
当塾は、1授業平均10名(最大15名まで)の小集団一斉指導を行っている。私は元小学校教師であり、TOSSという教職専門家集団に5年間所属して、集団統率の技術を学んできた人間だ。そして何よりも、ベストセラー100万部を書き上げてきた人間である。その授業の金額を「高い」と思うか「安い」と思うか。やはり、答えは明白である。
最後に1つ。こうした文章を読み、「この福嶋という人はどんだけ自信家なんだ」と思う人が一部には必ず存在する。そういう方は、「自信のある先生と自信のない先生」のどちらに勉強を教わりたいか、お子さんにぜひ質問してみていただきたい。